終わらない夢を

あなたならきっと描ける

いま髙橋海人くんについて思うこと ―月刊TVnavi6月号を読んで―

 

髙橋海人くんがデビューする。

 

私が好きで好きでたまらないかいちゃんが、5月23日にKing&Princeのメンバーとしてデビューする。

 

まさか自分のオタク人生において、ジャニーズを応援して、デビュー前の子に熱を上げて、そしてその子がデビューする瞬間に立ち会えるなんて思ってもみなかった。

 

 

 

かいちゃんのことについてブログを書くのは二度目です。

時が経つのは早いもので以前の記事からもう2年が経った。

かいちゃんのことが気になって仕方がなくなって、初めて現場に赴く前のまっさらな己の気持ちを残したくて書き連ねた記事。

 

 

普段はTwitterなる便利ツールで自分の思いの丈をつらつらと吐き出すばかりの私なのですが、やはりこういうターニングとなるポイントではある程度まとまった形式で自分の思うことをきちんと整理して記録したくて、記事を書きます。

 

 

デビューが決まった髙橋海人くんについて今わたしが思うこと、考えること。

嬉しい!おめでとう!

表題にもあるように、月刊TVnaviでの岸くんとかいちゃんの対談を読んだらそんなシンプルな気持ちだけでは済ませられなくなってしまった。

 

 

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さて、前述したようにかいちゃんのファンになることを決めたわたしがポエミーな心持ちで綴った記事から2年。

 

いま再びのポエムを綴るより先に、その2年前から今の今まで私がファンとしてどう過ごしていたかを記す必要があります。

 

 

 

 

 

結論から言うと、あの記事を書いてから臨んだ16年のサマステ、かいちゃん座長公演以降わたしは現場に足を運んでかいちゃんを見る、ということはできていません。

 

 

私には今世ではジャニーズJr.のオタクはできない、これを思い知らされたからです。

 

 

いや、もうね、サマステについてはほんとーーーーーに最高だったんですよ。

 

安井くんの「この国の王様!髙橋海人!」でステージに登場するかいちゃんには本当に胸と目頭が熱くなったし、公演中のかいちゃんはずっと堂々とパフォーマンスをしていて、間違いなくその時間はEXシアターを統べる王様で、私の大好きなかいちゃんだった。

 

リアデラの掛け声を言う日が来るなんて今思っても胸が震えるし、あの今も受け継がれる伝説のRemedyを見た時なんて血管100本ぶち切れたくらいの興奮だったし、かと思えばその日見学に来ていた尊先中島健人さんに褒められてほわほわデレデレとろけるメロメロかいちゃんはポリバケツいっぱいのマシュマロをひっくり返したいくらい(?)可愛かったし、この目で「髙橋海人さんは最高のアイドル」だということを確信した日になった。

 

 

今後も、かいちゃんを最高のアイドルだと思わせてくれる場があるなら、出来る限り自身の目でそれを確かめたいと当時のわたしはもちろん思いました。

 

 

ただ、そこはオタク社会の厳しいところで、単純にチケットが中々ご用意されない。

譲渡が出ていないかと探してみるも理解できない相場理解の文字ばかり。

 

これはあくまで、私が見てきた狭い視野の中で感じただけの話なのでさらりと流して欲しいのですが、デビュー組と比較してJr.界隈は遥かに治安がよろしくない。

 

自分が興味関心のない舞台、コンサートのチケットであろうととりあえず取れるものは取って、交換に出すか定価以上で取引をする傾向が強い文化圏。

あまり居心地の良い環境でなくて、自分の精神衛生を保つためにも「自分の力で当てられなかったものはすっぱり諦めよう」、というスタンスに早々と切り替えました。

 

これがまず、わたしが積極的に現場に赴くような熱心なJr.のオタクにはなれなかったひとつの要因。

 

 

でも最大の要因はこれではなく、まあ精神衛生を保つため、という面において延長線上の話にはなるのですが、

Jr.界隈生々しすぎる。

これに尽きます。

 

 

 

チケットが取れないとはいえども、当然デビュー組とは違う狭い会場、狭い世界。

その中で繰り広げられる様々なオタクたちの確執がわたしには中々耐え難かった。

 

サマステに行った熱量を携えてあの時期のわたしは、主にTwitterで公演レポや少クラレポ、その他諸々、それまではあまりマメにチェックしていなかった情報を追っていました。

それは概ね楽しいことではあったのですが、そうしていると、気持ちの良くないツイートを目にすることが度々あって。

 

端的に言えばバッシング。

それは多かれ少なかれ存在するものだと以前から知ってはいたけれど、こんなにもか、とひどく落ち込んだ。

 

かいちゃん、KING、キンプリに対して様々な人が様々に複雑な思いを抱えていることは分かっているし、それが生じるのも仕方がないことは分かっています。

100人いれば100通りの考えがあるのは当たり前で、物事をどう捉えるかなんてみんな同じなわけもないし、解釈違いが生まれるのも当たり前。

でもJr.の世界って特に、誰が、どこで、どうやって、どういうスタンスでファンでいるかが個々人によってあまりにも違いすぎて、「同じものを見ているようでまったく違うものを見ている」、そんな相違を狭い世界の中で自分自身の肌で生々しく感じてしまうのが辛かった。

 

わたしはかいちゃんを好きになるより以前から、今も、関ジャニ∞のオタクです。

彼らを同じように好きでいる人たちの中にも、わたしとは応援のスタンスが違うし、意見が合わない人なんてもちろんたくさんいます。

でも、ある程度母数の大きい社会だと自分とはすっぱり切り離して淡白に過ごしていられるというか、「考えは人それぞれ」とさらりと思えるし、多くの人がそうだと思うんです。

 

しかし、なんとなくJr.界隈はそうではないというか、自分と意見解釈が合わない人は真っ向から殴りに行く、殴り合わないにしても、負の感情の応酬が強すぎるというか、ひどく殺伐とした社会に感じました。

 

そんな空気感にあてられたのか(勝手に感じ取っただけですが)わたしも、かいちゃんを良く言わない人、悪く言う人に対してものすごく敏感になってしまったし、ものすごく簡単に傷付いてしまうようになった。

傷付いて悲しくて悔しくて、そんな心が荒んでいる時にダメ押しとばかりに、同じ海人担であるはずなのに理解できない意見を見てしまった日なんかは本当にしんどくて、誰の考えてることも分からなくなったわたしは軽いパニック状態で、(このままでは不健康なオタクになってしまう…)と距離を置くことにしました。

 

好きな物事に対してわたしはポジティブな感情しか持っていたくなくて、ずっと「楽しい」でいたいんですね。

 

わたし自身の「かいちゃんが好きで幸せ!楽しい!」を守るためにも、生々しさを感じてしまう場からは身を引いて、お茶の間でゆっくりかいちゃんを愛していこう…と思うに至りました。

 

 

 

そう決めて過ごしたこの間は、コンサート会場で得られる興奮こそなかったものの、とても健やかだったし穏やかな心でかいちゃんへの愛を募らせていた。

 

かいちゃんはどんどんどんどん、かわいさとかっこよさを併せ持つ最高のアイドルになっていくし、わたしがかいちゃんに落ちた決定打となった15年10月14日放送の少クラでのTDBだって3億回は見たけれどちっとも色褪せないし、どころか今のかいちゃんがきらきらするにつれ、輝きが増して見えた。

 

 

 

 

そうして緩やかなファンとして過ごしていたわたしが、かいちゃんの、キンプリのデビューを知った時、嬉しさと感慨深さが込み上げた後に「わたしはこれからどうやってかいちゃんのことを好きでいよう」ということを考える必要がありました。

 

きっとFCができる。入会して生々しさが怖くて遠ざけていた現場にわたしは行くのかどうか。入会はせず、今まで通りお茶の間でデビュー前より増えたメディア露出を喜び、時折コンサート会場でアイドルをしているかいちゃんに想いを馳せてみるのか。

 

どちらかというと、最初は後者の方へ気持ちが傾いていました。

 

 

それは、デビュー発表時、6人でのデビューに対してあまりにも様々な思いが渦巻いていたから。

 

お祝いモード一色なのかな?とそわそわしながら世の中の動向を探ったら、とてもとてもそうとは言えなくて、わたしはあの1月17日、雨の降る街中でどうしようもなく切なくなっていた。

 

 

平野くんと永瀬くんが「関西」であったこと。

その事実から生まれる負の感情がいつもかいちゃんへ向けられる心無い言葉になっていたとは言わないけれど、みんながみんなそうしてかいちゃんを非難するわけではないけれど、少なからず上がるバッシングの声はもうたくさんだった。

 

不用意に悲しい気持ちになりたくないと、すっかり世の中の声に怯えきったわたしは、やっぱりこの世界に身を投じることはできない…と翌日のWSで流れていた華々しいはずのデビュー会見をしょぼくれて見ていました。

 

 

 

でも、なにはどうあれわたしの大好きなかいちゃんのデビューが決まった。

 

入所したての頃はジャニーズが嫌で、辛い思いをしていて、いつ辞めるかもわからなかったかいちゃんのデビューが。

アイドルの世界なんてまったく興味がなかったけど、いつからかアイドルとして生きていく自分を、他でもない自分自身で見つけてくれたかいちゃんのデビューが。

 

アイドルとしての様々な夢を思い描いて、抱くようになったかいちゃんのデビューが決まったということは、かいちゃんのその大切な夢たちはもっと鮮やかに息づいて、この先叶えられていくこともあれば、もっと大きな夢へと膨らんでもいくということ。

 

 

まぶしい気持ちを噛み締めながら、今まで録り溜めてきたかいちゃんメモリアルを時系列順にしみじみと見返した。 

 

 

 見返したんです。

 

 

まだアイドルを楽しみきれていない頃のセクゾのバックにつくかいちゃん。

キンプリ結成時のあどけなさが残るけれど、少しずつひまわりみたいな笑顔が咲くようになったかいちゃん。

いつからか、バックでのダンスもマイクを持って歌って踊る姿も、本当に堂々としていて立派になって、それなのにパフォーマンスをしていない時は別人みたいにふわふわ甘い砂糖菓子みたいで。

 

どこをどう切り取ったって魅力的で、素敵だと思えるのも、今のかいちゃんがにこにこと笑ってくれているからこそ。

 

 

 

デビューコンサート、行きたいに決まってる。

 

 

好きでしかない。好きという気持ちしか湧かない。

 

かいちゃんのことを目で追い出したその時から、わたしはいつもいつもかいちゃんの未来に明るさしか感じていなかった。

 

 

その明るさ=デビューとは、ろくにJr.を応援したことがなかったわたしの中でいまいちピンとくるものではなくて、結び付けて考えたことはなかったけど。

というのも恐らく、ジャニーズJr.がひしめき合うこの昨今、「デビューして欲しい」とあまり強く思いを抱き過ぎない自己防衛のようなものを無意識に働かせていたのかもしれない。

 

でも今思えば、わたしはそのかいちゃんから感じてやまない明るさを、Jr.という世界の枠を飛び出したステージでずっと感じたかったんだと思う。

心の底で、いつかデビューする「髙橋海人」を待ち詫びていたんだと思う。

 

わたしがいつも、好きだ好きだと気持ちを溢れさせながら何度も何度も見ていたかいちゃんの軌跡を見返して、ようやく気付いた。

 

どんなバッシングにも負けずに、いつだって一生懸命に最高のアイドルでいてくれたかいちゃんが、その最高のパフォーマンスで周囲の声をねじ伏せてファンを増やしていったことをわたしは知っているし、現にわたしだってその一瞬間に釘付けにされた一人だったわけで。

 

かいちゃんが大きなステージで、広い世界で、今まで以上にもっとたくさんの人を魅了していく姿をわたしは見届けたい。

 

 

FCにも入る。コンサートにも行けるのであれば行く。かいちゃんが選んだこのジャニーズという人生のステージで、大きな世界に飛び出すなら、わたしだって飛び出す。

 

 

好きなものに対してことごとく重い女は、ある夜ひとり泣きながら歪む視界の中ネットバンキングにてペイジーで5000円を振り込んだ。

 

 

 

 

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という事の顛末があり、今のわたしは髙橋海人くんが世界一のアイドルになることを願ってやまない一心でこの記事を書いています。

 

本当に大好きで、本当に幸せになって欲しいと思ってる。

 

 

だからやっぱり、彼らのデビューに先駆けた入所歴の話題になるとわたしは少しだけ胸が痛くなる。

それはかいちゃんがキンプリのメンバーになった時からずっと、気に病んでいることだったから。

少クラの春うたスペシャルでまさにその話題になった時、かいちゃんがにこにこしながらも特になにも言葉を発しなかったのが、見ていてちょっと辛かった。

 

周りと比べて入所歴が短いことだとか、紫耀くんと廉くんが関西にいたことだとか、自分を取り囲むこの世界ではすごくセンシティブだということを痛いほど知っているかいちゃんが、「何も言わないようにしている」ように見えてしまった。

 

そんなこと、かいちゃんはひとつも気にしなくて良いのに。

ずっとそう思ってきたけれど、でもそういったことを気にして、考えて、いっぱい悩みながらも、舞台の上ではそんな陰りを1ミリも見せないかいちゃんがわたしは大好きなんだろうなとも思う。

 

 

そう考えていた矢先のTVnaviの対談だった。(ここでやっと副題の内容に入る)

 

 

「正直に言って2人と活動すること、一緒にいるのが怖すぎた時期もあった。」

「2人がすごすぎてそれに比べて俺はどう思われてるんだろう?っていう被害妄想しかしてなかった時期もあったよ。」

「はたから見たら紫耀と廉がシンメで俺だけひとりぼっちに見えていたかもしれないけど、2人はそう思ってなかったから。」

「気にしているのは意外と外から見てる人だったりする。俺らは何とも思ってないどころか、楽しんでる。だって紫耀と廉はすごいヤツらだし、そんな人たちと一緒にいることを認められるようになりたくて、今まで頑張って来られたんだもん。」

 

 

 

わたしはかいちゃんのことを素直で真っ直ぐで強い子だと前回の記事にも書いたけれど、この2年でもっとずっと強く、人の傷さえも優しく包み込めるほどになったんだと、それまでの胸の痛みが溶かされるような心持ちだった。

 

わたしは勝手に思いを巡らせたかいちゃんの気持ちを、勝手に自分に写し取ったような気分でいて、ずっと平野担や永瀬担の存在が怖かった。

「気にしているのは意外と外から見てる人」、本当にそうだなと思う。

紫耀くんと廉くんと一緒にいるのが怖かった時期は確かにあったけれど、一緒にいることを認められたくて、ひた向きに一生懸命頑張ってきたかいちゃんがいて。そんなかいちゃんを2人はしっかり支えてくれていて、そんな2人のことが大好きだとかいちゃんは言っている。

そこにわたしたちが勝手に思いを巡らせて、不安や懸念や疑惑を差し挟む余地なんてひとつもないことをかいちゃんは教えてくれて、遅いかもしれないけどわたしはその言葉でようやく安心ができた。

 

 

けどやっぱり、オタクは気にしたがりな生き物なので、かいちゃんの飾らない素直な言葉ひとつひとつに滲み出るこれまでの辛さや苦悩を慮ってしまうことは許して欲しいし、涙だって流させて欲しい。

 

 

アイドルというまったく未知の世界で、まだ声変わりもしていない細い身体に背負わされた重圧。

自分がいまここにいる理由も分からないまま、周囲の目に怯えて、時には泣きながらなんでどうしてを思う日々。

 

かいちゃん本人にしか分かり得ないこの辛さは、わたしたちが想像するよりもっと過酷だったろうし、わたしたちの知らないところで本当にいっぱいいっぱい悩んできたんだと思う。

 

 

辛かったね、がんばってきたね、と気安く言えるような距離の近いところでわたしはかいちゃんを見てきたわけではないし、なによりかいちゃんはそんな辛い姿はステージの上で見せたりはしなかったから。だから、その代わりに、せめて心からのありがとうと大好きという気持ちでアイドルとして生きていく道を選択したかいちゃんの姿を応援していきたい。

 

かいちゃんが誌面で語ってくれた、デビューまでの日々で自分を見つけるのが一番難しかったということ、自分の立ち位置について今でもずっと考えているっていうこと、きっとこれはデビューしたこれからも思い悩んで、もしかしたら少し苦しい時もあるかもしれない。

 

でも、そうして考えて考えて、考えられるところにかいちゃんの魅力はあるんだよ。

 

「アイドルにとって努力するのは当たり前のこと」だと普通に言えてしまうかいちゃん。そしてそれを口で語るまでもなくステージの上で自分の体ひとつで示してしまえるかいちゃんの立つステージは、今しっかり踏み締めているそのきらきら明るい場所でなにも怖れることはないとわたしは思ってる。

 

 

わたしが目を奪われた「終わらない夢を描こう」と歌う16歳のかいちゃんは、19歳になった今も、そしてこれからもまだまだきらびやかな夢を描いていく。

 

デビュー本当におめでとう。

 

最高のアイドルでいてくれてありがとう。大好きです。

 

 

かいちゃんのこれからのスーパーアイドルへの道のりが、どうか幸多きものでありますように。

 

 

 

シアターコクーンがジレッタ館になった日

 

横山さんの主演舞台『上を下へのジレッタ』が東京千秋楽を迎えました。

まだ大阪公演も残ってはいますが、個人的見納めは済んでしまったので一区切りの気持ちで感想を連ねようと思います。

 

いやーーー良い舞台だった、良い妄想歌謡劇だった、、、、

 

 

思い起こすと2015年、横山さんがグローブ座で『ブルームーン』のストレートプレイが決まった時、私含め大体の方の反応が「まさか横山さんが主演舞台をやる日がくるなんて」だったことを覚えています。

「横山くんの主演舞台なんて、もう後にも先にもないかもしれない」そう言っている人も見かけたし、私も「確かに」と思ったし、そんな息巻くオタクたちが集うジャニーズの舞台の険しさ(チケット的な意味で)も思い知った。(遠い目)

 

そんなオタクたちの意に良い意味で反しまくって横山さんは映画にドラマにと、役者仕事でお忙しくされた昨今。(これがいかに最高だったことも書きたくなったけれど思いとどまる)

それでも今回のような「歌って踊る」、言わばミュージカルの気色の強い舞台に横山さんが出られる未来を想像出来た方っています?少なくとも私はしてなかった。横山裕さん未来予想図にこの妄想歌謡劇が組み込まれていた方は手塚治虫ばりの先取り能力があるのではと思ってしまうくらいに、想像だにしていない境地でした。

 

 

以下から、そんな新境地横山裕とも言える舞台『上を下へのジレッタ』感想および考察になります。大阪公演を控えてネタバレを避けている方は読まないでね。

横山さんのあそこがここが!というよりは、お話全体を通して私自身が考えたことも多分に含むのでそういったものが肌に合わない方も気を付けてね。

 

 

 

 

もう一言にまとめてしまえば「最高だった」(大の字)に尽きるんですけど、まず感動してやまなかったのが「原作との齟齬がほとんどないこと」です。

 

情報解禁されてから間もなくに原作を読んだのですが、(余談ですが姉が好きで手塚治虫作品は我が家に結構な量が揃えられているのですがジレッタはなく、いかにコアなところなのかという…笑)開口一番「どうやって舞台にすんねん」でした。

単純に私が舞台芸術に明るくないという要因もかなりあるとは思うのですが、あまりにも抽象性が高すぎる、あまりにもスケールがでかすぎる、SFだ…(小並)って感じを舞台上で表現することがまったく想像できませんでした。

そのため話のモチーフだけ借りて、結構脚色するのかなあと勝手にぼんやり思っていたり。

 

まったく思い違いでした。手塚作品が舞台化された、それ以上でも以下でもない作品でした。

ジレッタの世界の表現、それに伴う場面転換、「舞台でやるとこうなるんだ…!」と感動しきりでした。脚本家さんって天才ですね。いや本当に。

個人的にツボだったのが、漫画感剥き出しの大道具とジレッタから現実世界への場面転換時のアナログっぽさ。良い意味でチープで、漫画原作の活かされ方が絶妙だなあと思いました。

門前さんが平然と1週間後の事務所の電話を工事現場で取る場面とか、医師たちの背中に隠されてはけていく山辺に強引さを感じて楽しかったです。

あと裁判の場面で門前さんが自分で証言台を運び、撤去するところが可愛くて好き。自前証言台みたいな感じがして面白い。

 

ジレッタの世界をいかに具象にするか。原作を読んで最も気になっていたことですが、ここは「歌謡劇」ならではの色彩と音楽、踊りによる感覚への刺激で現象が曖昧にされていて素敵でした。

後述しますが、この現象が曖昧に歪められた世界に佇む横山裕さんが一人その美しさに現実と虚構を内在しているかのように思えてしまうのが、個人的にはこの舞台の一番の醍醐味であり最高な要因だと思ってます。

 

そして最後が工事現場の鉄骨のシーンで、音波がフェードアウトしていって終わるのが、この劇場という空間だからこそ意味のあるもので、素晴らしいなと思いました。

私たちは最初から最後までジレッタの中でこの『上を下へのジレッタ』という物語を味わっていたのかもしれない…劇場にそんな空気が満ちる瞬間が大好きでした。

 

 

後述該当箇所の話をします。

 

 

いや本当にこの舞台、横山さんの造形物的な美しさにあの門前さんのライフルで打ち抜かれる観客って感じじゃないですか。

 

冒頭のチープなネオン街に派手だけれどやっぱりチープなロングジャケットを着て歌い出す横山さん演じる門前さん。

安っぽいきらめきに包まれたそのお顔が輝きを放つダイヤモンドすぎじゃないですか!?

大抵の横山担が愛してやまない横山さんの繊細なファルセットも相まって夜空の宝石かと思いました。ターンが美しすぎて星が散った。

 

舞台の隅に佇む姿、ソファに腰掛ける姿、 足を組む動作、羽根のように軽やかな身のこなし、どこを切り取ってもモニュメント的な美しさがあって今ここでこうして呼吸して歌を歌ってる事実が嘘みたいでした。横山さんの存在がまやかしみが強すぎる。

 

なんといってもそのまやかしが頂点に達するのが『虚構の共犯者(リプライズ)』。

ここまで観てきた私たちは、門前さんというキャラクターが孤高の天才でありながら、追い詰められると異様に弱い(マスコミに謝罪を迫られる場面)人間的な側面もうかがえることを知っています。

そんな門前さんが花魁に囲まれた妖しい空間に現れ、その異色さと風変わりなダンスに合わせ「すべてまやかし すべては虚構」と歌う姿は横山さんの美の要素を惜しみなく引き立たせると同時に私たちの中にあった現実味を一挙に取り上げます。

人間的精神を虚構みたいな美しさでねじ伏せてくるあの感じ。アンビバレントな社会を歌い上げる門前さんもとい横山さんの存在が最もアンビバレントなわけですよ。

それでも横山裕さんは確かに息をしていて現実の存在だということ。改めて分からせてくれたこの作品に感謝。

 

 

 

演出、横山さんの美についてと触れてきましたがお話そのものにも触れたいと思います。

 

個人的にこの舞台に始終満ちている「寂しさ」がすっごく好きで。

 

門前さんの天才がゆえの孤独感、リエの門前さんへの意地、チエとジミーの認められるのは偽りの自分だけという辛さ、山辺の望みもしない才能という歌詞に示される宿命的要素。

登場人物みんなが現実への寂しさをどこかに感じていて、そしてそこに一貫してあるのは承認欲求だと私は思いました。

『食うか飢えるか(リプライズ)』のチエが山辺に向けて歌う「世界中が認めなくたってわたしが認めてあげる」の言葉がこのストーリの根幹なような気がして、大好きで、形はどうあれみんな何かに認めてもらうことへひたむきなんだよなあと胸がきゅっとしました。

 

世界中を巻き込んで、世界中から賞賛を浴びても門前さんが欲しいのは結局リエに認められることで、彼女に認められなければ意味はないんですよね。

リエもリエで、門前さんを理解して、彼の承認欲求を満たすのは自分だけだと思ってる。

 

上手くいけば、とことん上手くいくはずな2人なのに、こじれきってしまう様が切なくて苦しかったです。

チエと山辺が支え合って夢を追いかける2人であるならば、門前とリエは支え合って夢を創り上げていく2人で、ただ門前さんは夢、フィクションを創り上げるジレッタの圧倒的存在に狂わされ、潰されてしまう。

 

なんとなく、こういった驚異的な力を前にした人間の無力さは現代にも通じるテーマだよなあと感じます。

そういったテーマ性、人間模様については観劇の回数を重ねるにつれ考えさせられ、同時に切ない気持ちになり、良い作品に出会ったなあとしみじみしています。

 

 

 

ここまで書いていてハッとしましたが、こんな感じに登場人物の心の機微に集中して気にしてみたりする余地に及ぶということは、横山さんの演技をする姿が着実にモノになっているということですよね。横山さんが演じる門前市郎という人物を門前市郎として違和感なく見られているということ。どうしよう、今気付いた、嬉しい!!!!

 

私が門前さんの台詞で一番好きなのは、チエが亡くなった病室で山辺に詰め寄られた時の「俺の専門はフィクションだ。現実についてはなにも教えてやれない…」と項垂れるところです。

フィクションで現実をねじ伏せてきた門前さんの心がチエの死によって、理不尽な現実によって折れてしまう場面。この時の横山さんが見せる表情の辛さ、苦しさ、絶望感が素晴らしかった。

 

 

歌って踊る横山さんの新境地、と言いましたが、演技という面では映画、ドラマを通じて培ってきたものを感じられて嬉しかったです。

 

歌唱場面に関しては、各所で言われているようにどんどん上手になっているように思えました。少なくとも私が観た3公演では最後に観た回が一番良かった。お腹の底から声が出ていることがすごくよく分かった。

ずっとずっと成長を見せてくれる横山さんが大好きです。

 

舞台そのものに絶賛しているのですが、横山さんがキャストにいなければこの舞台に巡り合うことも恐らくなかったわけで。ファンは素敵な機会をもらったなあと思うばかりです。

 

 

今日は東京千秋楽のレポを見て充足感でいっぱいです。

大阪公演、大千秋楽までどうか無事に終えられるよう応援してます!

 

 

聡マリという世界一のシンメ

まさか聡マリがお兄ちゃんズと並んでサマパラをする日がやってくるなんて、去年からしたら誰も想像出来なかったのではないでしょうか。

私はFC会員ではないので残念ながら参戦の予定はありませんが(どうにかならないものかと思ってるところですが笑)おめでとうの気持ちと、先週のQrzoneの2人に愛おしさが爆発したので記事を書きます。

 

いつもは聡マリに対してかわいい!尊い!好き!!以外の語彙を失いがちな私ですがそのありがたさはどこからやってくるのか紐解こうと思います。あなたの聡マリはどこから?

 

以下は完全なる個人の主観で好き勝手書くことを宣言しておきます。筆者はセクゾの現場には赴いたことがないため、何を勝手なことをと感じさせる部分もあるのではないかと思いますので、読んでくださる場合は寛容な心をお持ちください。ただただ、聡マリちゃんのことは世界で一番優しくてきらきら尊くて甘酸っぱくて、そして強いシンメで最高であるという一心で綴ります。

 

 

 

聡くんとマリちゃんの何が最高かって、互いに紙一重の憧れと嫉妬の感情を抱いているということ。そしてこの感情は思春期特有の繊細で壊れやすく見え、実はとっても強いシルクのような相手を思いやる愛情で優しく包まれているということ。

 

2人はデビューしてからずっとセットとして扱われて、もはや運命共同体。

片や静岡育ちの素朴さのある男の子らしい男の子。片やドイツ育ち、アイドルを目指して遥々日本へやってきたハーフの男の子。全く違う2人は、本人たちもわけの分からぬままグループとしてデビューするという同じ境遇に置かれます。

 

同じ境遇でありつつも、そこは全く違う2人。マリちゃんはハーフというもの珍しさで注目を集め、早々にドラマ出演。世間の認知度が上がるのも早かったのではないでしょうか。

まず聡くんは少なからずこの差にコンプレックスがあったのではと思います。

加えて血統が炸裂してあっという間に背丈が伸びていくマリちゃんと体格差も出てくる。発達はゆっくりめな日本の男の子の聡くんは気付けば年下のマリちゃんを見上げるようになります。

 

その一方でマリちゃんも、仕事が増え急成長することに伴う悩みがたくさんあったはず。

まず何より言葉の壁。自分の思う感情を日本語で上手く表現できなくてもどかしかった、ということはよく述べていますね。隣の聡ちゃんが羨ましいこともあったでしょう。

そして急成長のためにずっと長くなった手足をダンスで扱うことの難しさ。声変わりで思うように出てくれない声。

この子はいつも自身のキャパシティ以上の仕事を周りの大人に期待されていたように感じます。

 

それでもこの子たちの強みは、その嫉妬とも憧れとも取り得る相手へのコンプレックスを、自分を高めるための、ステップアップのための原動力と出来たこと。

聡くんはコンパクトでキレのある、小柄な人特有のダンスにどんどん磨きをかけ、笑顔、カメラへの映り方、アイドルとしての振る舞いを研究して見違えるほど成長します。

マリちゃんも語学学習を怠らず、舞台経験などで自分の表現の仕方をたくさん学んで常に向上心を持って励み続けました。

 

コンプレックスに心を腐らせることは簡単なことだけれど、それを昇華していくことがどれだけ難しいことか。

決して安定した場に置かれなかったこの子たちは、その心の不安は一切表に出さずにいつも笑顔でいました。

いつ事務所を辞めてしまってもおかしくなかった。思春期という難しい時期に過酷な立場に置かれた当時の2人は、脆くていつか壊れてしまうのでは、と心配だった。
それでもアイドルを全うする姿勢を崩さない姿に、その眩しい一刹那に、脆いかもしれないけどもたくましくて美しい、これもまた思春期特有のきらびやかさがあって、プロ意識の高さに感服するしかありませんでした。
それが出来たのもお互いがいたからこそ。
露骨に支え合うわけでなくともこの2人は精神の深いところで寄り添い合って同じ星の下できらきら輝いているのだと思います。
お互いの努力も葛藤もかけがえのない思い出もきっと一番近くで見て、共有している。

 

マリちゃんの聡くんへ120%全力で甘える姿と、マリちゃんを広い心で受け止め甘やかす聡くんと。ふんわり仕上がった天然な2人のパステルカラーみたいな可愛い世界は、内側まで見るとしっとり青い、1度だって同じ形を作らない万華鏡のようにキラキラ輝いているのだと思います。

 

 

サマパラではどんな鮮やかな2人の世界を見せてくれるのでしょうか。

 

 

 

なぜ髙橋海人なのか


5月6日夜、放置していたスマートフォンを手にすると通知バーにいくつか表示があった。
始めにLINEを確認するとサマステを一緒に申し込んだお友達からの「華麗に全滅だったよ」とのメッセージ。
そういえば今日が当落だったな、とメールボックスを開いた。

 

そもそものサマステ申し込みに至るきっかけといえば、一度は髙橋海人くんが舞台にいる姿を生で見たいといつからか思うようになっていた私と、いつもエイトのコンサートに連れ立っているお友達がSnow Manが好きだから。
一人で申し込むなんてとても…と思っていた私にとって大変都合の良いメンバー編成だった。お友達に同行しませんかの旨を伝えると快諾してくれたので、お互い「まあ、当たらないだろうけど(笑)」くらいの気持ちで申し込んだ。
この程度だったので名義も自分のもの一つだけ。2人で調整した3日を3回に分けて申し込んだ。
そんなわけで3通のメールを確認する。上から見ていくと落選、落選。ここで思ったよりこの二字に自分がへこんでいることに気付く。思っていたよりずっと海人くんが1人メインとなるであろうコンサートがどんなものになるかを気になっていた自分に気付く。
まあでも、それにかける気持ちの比重はさておき、ジャニオタ並びに現場というものがある全てのオタク、この二文字とはなるべく縁遠く生きていきたいものだよなと思いながら最後のメールを開くとびっくり当選の文字。
驚いて変な声が出た。同時にすごく嬉しくて一気に体温が上がったので、やはり思っていたよりずっと海人くんのことを好きになっているのだと確信した。


そんな事の顛末で7月26日にサマステ参戦を控えた私は思った。髙橋海人くんのことをもっと知っておきたい、と。

こうして、私はいつから海人くんのことを気に掛けていたのか、なぜ現場に行きたいと思うまでに好きになったのかという自己分析と、私がまだ知らない時期の海人くんのことを知ろうとネットの海に出た。(本当に便利な時代ですね。)

 

長くなるので結論から言ってしまうと、今現在わたしは髙橋海人くんのことがものすごく好きになっている。ふんわり好きだなあ~から、胸を張って、両手を広げて大好きだと言える。26日のことを思うと楽しみで身体中のあらゆるものが活性化しているような気がしてくるレベルになっている。
この胸の中にうずまく怒涛の好きだという気持ちはきっと参戦後にはもっと凄まじいことになるので、参戦前の今のうちにある程度整理をつけておきたいと思いこうして記事を書いているわけです。
まだ生の海人くんを見たことがない、まっさらな状態のドドド新規の私を記録に残しておこうと思ったわけです。

 

さて、私がどうして海人くんのことを好きになったかを書き連ねるより前に、前述しておかないといけないことは、私のジャニオタとしての歴の浅さ、経験の少なさと、腰の重さである。

現在私は関ジャニ∞のFCに入っているのみ。(蛇足ですが私は横山さんが大好きです。事務所内に好きな子はたくさんいますが担当は?と聞かれたら即答で横山担ですと答えます)
が、それさえも好きになったのは4年ほど前でまだまだ新規。
エイトにハマった時に事務所全体のこともたしなみとして知っておきたいなと思ったので、他グループについても歌番組や大きな情報はチェックしている。
そうすると必然的に他グループの現場にも興味は出てくるのだけど、そこは当方学生のため、時間はある程度割くことが出来ても、出せるお金は少ない。
加えて浅く広く好きでいる、ということが出来ない性分で、好きになったものは突き詰めていきたいので、迂闊に好きなものは増やせない。手が回らなくなっちゃうから。
お金を出すか、出さないかが自分の中でかなりハッキリとボーダーがあるので、お恥ずかしながら現場も今までエイトしか経験がありません。
そのため、ジャニーズ関係に止まらず今までもたくさんのことをセーブしてきました。これ以上好きになってはいけない、いけない…茶の間ファンで耐えるんだ…と。たまにこれは一体なんの修行をしているのだろうかと思う程に、好きなものを増やすことには慎重であるということを明言しておきます。


そんな私を現場まで行きたいと思わせた髙橋海人くん。ここまで心をかき乱される存在は横山さんに続いて2人目。なぜどうしてそうなったのか、ようやく本題ですね。ここからは自分の記憶を探りながら綴っていくことにします。

 


まず、私が海人くんのそのお顔と名前を認知したのは14年のドリボの頃だったと思います。すごーく最近ですね。
そもそも少クラを見ることが1週間のルーティーンとなったのが、14年くらいから。きっかけは仲良しのえび担の子の影響でA.B.C-Zのことをもっと知りたかったのと、Sexy Zoneのきらきらアイドル王道な楽曲が好きだから。まあ言ってしまえばデビュー組ばかりを見てました。
しかも当時の私はそのオタクスキルの低さ故、録画は見たら躊躇せず消していたので(ものすごく後悔してます笑)、BR-Dの一番古い映像は14年6月、セクゾのKing&Queen&Joker。
見返すとこの時の海人くんはバックで踊ってますね。あの時の私はひたすらキラキラ眩しいアイドルソングに聞き惚れ、マリウス葉ちゃんは21世紀の宝だということと松島聡くんは本当にダンスが上手になったと確信を得るばかりでした。

話を戻して。このドリボの頃もあくまで、認知した程度。少クラを見出して半年余り、海人くんに限らずようやく数多いジュニアの子たちの顔と名前が一致してきたぞって時期です。
特に海人くんになにか強い感情を抱いたわけでもなく、なんならこの頃は永瀬廉くんのお顔の端正なことに惹かれていました。(この後に廉くんが気になりだしまいジャニをチェックしだします)

年が明けて15年、クリエの辺りでKINGの原型が出来つつありましたが、この時にようやく髙橋海人くんは歌もダンスも上手な子なんだなあとぼんやり思うようになります。それでもまだ廉くんのお顔に合わない強めの関西弁に強い魅力を感じていた私なのでした。

 

そして夏になりついにMr.King vs Mr.Princeが誕生しましたね。

でも、正直に言いますがわたしはこの新ユニットまっっったく受け入れられなかったんです。
というのも、聡マリは世界一のシンメだと今も当時も思っている私。セクゾの人数体制問題に現実の残酷さを呪いまくってました。
Sexy周りのユニット登場時も訳が分からなかったのに、マリちゃんとユニットを組んでいたはずの神宮寺くんと岩橋くんがなぜ新ユニットに!?マリちゃんはどうなるの!?現実を呪うしかありません。
いくら廉くんの顔が好きであってもキンプリの歌って踊る姿をまともに見れません。ただただ現実が辛かった。


そんな辛い最中、私はここでようやく海人くんに惹かれだします。心中の変化をニュアンスで言うなら髙橋海人くん、が髙橋海人くん!!とエクスクラメーションが付くようになった具合に。
上記の通りパフォーマンスはあまり正常な精神で見られなかったのですが(勿体ない話ですが)、Jr.にQやゲーム企画でお喋りする海人くんにものすごく惹かれだします。
ちょっと他の子たちとは違う世界に生きてるかのようなぽんやりした発言、甘い声でのんびりお喋りするところ。
かわいい!!!!!!!!!かわいいぞ!!!!!!!!!と思いました。
歌もダンスもアイドルとしてばっちりで、どちらかというと男の子らしいお顔立ちをしているのに、口を開くとギャップもギャップ。この子独特のワールドがある感じ。大物になるぞ…と直感で思いました。

今思うと、セクゾに対してデビューしてもこんなことが起こるのかと絶望し荒んでいた私の心に、海人くんの邪気のない優しい笑顔が、彼がお話しすることで広がる優しい世界が、ものすごく沁み渡ったのだと思います。この子は私に心の安寧をもたらしていたんだなあ。

 


そして海人くんを意識的に目で追うようになっていた私はついに10月14日を迎えます。

少クラで愛は味方さとTHE DREAM BOYSを披露。

「終わらない夢を描こう」とのびやかに、センターで堂々と歌い上げる海人くんを見て本当にびっくりしたことは鮮明に覚えています。


別に初披露なわけではない。DREAM BOYSを聴くのだって初めてではなかった。舞台曲らしくて良い曲だなと耳に残ってもいた。

 

それでも今まで聴いてきたものと同じものだと私には感じられなかった。
髙橋海人くんは確かに、歌もダンスもずっと上手ではあったけど、こんなにも堂々と素晴らしいパフォーマンスが出来る子だったっけ?と思った。
こんなに目を離せなくなる程に、目を離してはいけないと思う程に、魅せ方が上手な子だったっけ?と思った。

 

長く担当さんでいらっしゃる方からしたらなにを今更、と思うかもしれない。

それでも私は、あの時センターで歌う海人くんを見た時に、アイドルとしての無限の可能性と輝きを感じました。この子の、この部分のパフォーマンスが最高だと思う場面は数あれど、ここまで一瞬間を釘付けにされたことは初めて。

 

アイドルは彼ら自身が夢を見て、夢をつくりだし、その夢を与えるお仕事。

この子なら、海人くんなら絶対に終わることのない夢を描くことが出来る…というまぶしい気持ちで胸がいっぱいになりました。

 

わずかながら私が所持しているBR-Dに映っている過去の海人くんの映像を慌てて見返しました。素人目だけれど、それでも見違えるほどにどんどんパフォーマンスが良くなってきたことが分かる。
そしてこの10月以降も見る度にキラキラして、どんどんアイドルになっていく海人くん。

 

昨日よりも今日、今日よりも明日、それよりもっと先。常に最高を見せてくれること。そのための努力、ひた向きさを欠かない一生懸命な子だということはあまり時間が経たないうちに分かった。

 

それでも新参者の私は、担当さんが丹精に綴っていらっしゃるブログを読むまで、こんなにも人を惹き付けることの出来るこの子が、当初はこのアイドルという仕事に対して前向きでいなかったことはちっとも分からなかった。

 

これに関しては、当時を知らない私がなにを言っても薄っぺらい言葉になってしまうことは重々承知だけれど、そんな時期を乗り越えて、「僕のことを見ていてください」と言えるようになった海人くんの気持ちは、これからもっと輝いていく自分の姿を見せてくれることを約束してくれる海人くんの決意は、きっとこちらが思っているよりずっと強いものなんだと思う。

 

素直で真っ直ぐで強い、美しい精神を持った人。

髙橋海人くんの描く終わらない夢を見ていられたらなと思う。

 

 

 

と、熱苦しい文を連ねたものの、冒頭にあるようにサマステ申し込み時点はここまでの熱量は自覚していなかったです…笑

ただこうして自省していくと、当時気付ききれなかった自分の気持ちを拾えた気がします。

言葉にするって大事。